最近カラー映画の中で、回想シーンにモノクロ画像を使う手法をよく見ます。白黒写真 の古いアルバムを見ているようで、とても懐かしい感じがします。少年の頃のページに、 家の裏の畑にレンゲやタンポポが咲き、少女がレンゲ草で冠を編んでいる光景は遠い昔の 夢だけなのでしょうか。夏のヒマワリはまさしく太陽のごとく大きく見えたものでした。 あの時、蝉とりに行った仲間は何処へ行ってしまったのでしょう。時の流れに乗って現代 に旅して来てしまったのか、それともあの村のわかれ道やその街角で別れ別れになってし まったのでは・・・。
花の胞子もそういつまでも僕たちの風に乗って飛んで来てはくれないでしょう。 今、私たち人類は、人間に都合の良い世界にして生きているような気がします。
先日ビデオで見た映画『スーパーマン』の中で、彼は地球を逆回転させて時間を戻し、 愛する人の命の危機を救ったシーンは印象的でした。しかし、現実にはそんな事は地球人 には出来ません。今、我々に出来る事が有るとすれば、今、あるものを失わない事だと思 います。以前、外国の地を旅した時のことです。樹齢千年を越す大樹に出合い、私は一時 間もその木を見ていました。私にとって一時間は長い時間です。しかし、樹齢千年のその 大樹から見れば、千年の中のたった一時間にすぎません。千年間もの時間、人類に見つめ られていたから、まだそこにあるのだと思います。私には描くことより先にその木のドラ マが浮かびます。
私は、花を描く時、何か思いを込めて描いているつもりです。花にも命があるのだから、 始める時にたった一言、花に無言で言います。 ”描くよ” と。
まだまだこの地球に美しい花はたくさんあります。でもそれらの多くは最近は花屋さん で仕入れたものです。今日このような状態は普通の事となり、自然の範囲の減少した証拠 なのかもしれません。
私は最近、奇妙な夢を見ました。多分あれは21世紀でしょう。国立博物館の資料室のよ うな所で特別に人工栽培された青白いヒマワリを教官の解説つきで画学生が写生している ではありませんか、でも夢で良かったのです。
そう言えば、この前、物置の奥から小学生の時に使っていた机の引き出しから、カッチ ン玉やベーゴマといっしょに茶色いガラスの小びんが出て来ました。そして、その中に何 かの種子が入っていて、これは多分当時のヒマワリのタネだと思うのですが、今年の夏の 前には一度、この種を庭先の地に蒔いてみようと思っています。数年前、千年も前の蓮の 種をまいて、花を咲かせたニュースが報道されました。そして記憶がよみがえり、このタ イムカプセルは、小学校の校舎の板張り廊下で先輩がすれちがいに、にっこり笑ってパス してくれた瓶でした。先輩ありがとう。
この墨で描いた花が将来、回想のモチーフにならない事を願って。