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(胎蔵界曼陀羅略図)

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胎蔵界曼陀羅の解説        (日本美術「曼陀羅の世界」より抜粋)


 胎蔵界曼陀羅は大日経によって描かれたもので、辞し(は大悲胎蔵生曼陀羅といい、生をえた胎児が母胎の中に育まれ、すこやかに生長してゆくように、大悲の種を宿した人間の心が、時あって内奥に潜む清浄な菩提心に自慢め、悟りの世界に導かれてゆく、人間の魂の屁開図とみなされよう。 この胎蔵界曼陀羅は十二の院から成り、精神の段階に応じて、中央の悟りの世界から四方へ広がりゆくそれぞれの境地を、仏・菩薩・明王・天といった多くの仏像の姿をかりて表現したものである。


1.中台八葉院

 曼陀羅の中央に八葉の蓮花の花が満開し、大日如来を中心に花びらの上に四仏、四菩薩が配され、曼陀羅の中核部をなす。釈尊が悟りの境地に入ることができたように、人は維でも仏になりうる性をもつため、ひとたぴ迷いの心をかき消せば、心の内奥の菩提心が花開き、凡夫の胸にも仏の世界が開かれるという、人間の心の真実の姿を、仏像をかりて具現したものである。  大日如来は膝前に手を合せて冥想に耽ける禅定印をなし、大日如来をめぐって上方の宝憧如来から右回りに開敷華・無量寿・天鼓宵音と如来の形をした四仏が配され、その尊名は全く開きなれない。しかし如来の姿に眼をそそぐと、宝憧は手を横にあげて尊から  宝を施すさまにかたどった与願印・開敷華は掌を垂れて魔物を寄せつけず恐れを知らない施無畏印・無量寿は冥想する禅定印・天鼓雷音は地下にあって仏を誘惑し悟りを妨たげる魔物を、手を大地にふれることによって降伏させる降魔印と、修行から悟りに到る釈迦像の主な姿にかたどっている。鞘仏の中間には斜右上から普腎・文殊・観音・弥勤と、仏教で古くから親しまれてきた四菩薩が配され、一見大日如来をめぐる新しい密教像にかこまれた中台八葉院も、その背後には意外にも釈迦如来を中心とする旧仏教との強いきずなを認めざるをえない。


2.週知院

 誰もが仏性を持ち仏になりうる可能性があるとしても、感情が正しく表現されないときは、心のほむらが燃え立ち、仏性はかき消され、感情のしこりにおのれの知恵はとざされ、迷いの渦に苦悩する。迷いの根本は情炎に狂うおのが小さな殻であり、これを否定してごそ真知は開けるというもの。そして小我を否定する心の働きを論理的に示したものである。 中台八葉院の悟りの世界に到るためには、一切の迷いを焼きつくし、太陽のごとくに輝く真実のあまねき知恵を求めねばならない。その象徴として卍を中心とする三角形の火焔を院の中央に描いたため遍知院と称する。真知こそ諸仏を生ずるものであり、この胎生の徳を擬人化した仏眼仏母や七倶?仏母の仏母尊を遍知院の左側に、魔の障害を打破する鋭い真知の働きを示す大勇猛菩薩、大愛楽不空真実菩薩を右側に配する。


3.持明院

 知りながらもも迷う人間には、大勇猛心をもって迷いを断ち切らすために、火焔を負う憤怒の明王形を表わして改悟きせる。真知によって悟りが開けるというものの、迷いにひきまわされ、欲望の執着に強い凡人の煩悩を破砕するためには、大日如来は怒りにもえる明王の形となって現われる。真知である般若の知恵を休得した般若菩薩を中心に不動・降三世・大威徳・勝三世の四体の明王か描かれる。        」


4.金剛手院

 まよいを断つにはすぐれた知恵の働きが必要であり、真如の働きのうち知性の面を象徴している。中台入来院の右側に位しこの院の主尊は金剛薩?で、仏の大知の働きを司さどり、他の諸尊は大知を多方面に具体化するものである。この院の名尊は金剛杵などの鋭利な武器を手にするために金剛手院と称される。


5.観音院

 限りない慈愛のめぐみもまた迷いを断つには大切なことで、真知の働きのうち感性を象徴している。  中台八葉院の左側にあり、金剛手院に対応する。金剛手院の知恵に対して仏の大慈悲をあらわしたものであり、主尊が観自在菩薩で諸種の観音から構成されているため観音院といい、聖観音・馬頭・大随求・如意輪などである。


6.釈迦院

 この院の中央には釈迦像がおかれ、左右には仏弟子や、最勝仏頂などの仏頂尊・如来牙・如米舌・如来語など、釈尊の頂や錮、舌、雷染などの肉体的部分の徳を淋来して具象化した諸尊が並び、釈尊中心の院であるため特に釈迦院とよばれる。大乗仏教では肉身の釈尊よりも釈尊の体験した悟りの世界を重んじ、普遍的な法に目覚めた覚者をより理想化することによって多くの如来が生し、法身思想のきわまるところ、一切の如来の徳を統合した太陽のような如来、すなわち密教における大日如来が出租したのである。これまでの法身世界の里陀羅の中にあって、なぜこのような実在の釈尊を中心とした釈迦院が設けられた理由、それは現実に生きた釈尊を通して法が実現されたのであって、法身世界を実践してゆくことが第二重曼陀羅の本旨であるからである。(第二重曼陀羅とは、中台八葉院をめぐる第一重の遍知・持明・金剛手・観音の各院以外の外周をめぐる曼陀羅を意味し、第一重が悟りに向う人間の心の永遠の真理を示すのに村して、第二重は釈尊や知恵の文殊、障害を除く除蓋障、地上の音楽を負う地蔵、大空の無の境地をえた虚空蔵や蘇悉地の清音薩を配して、現実への実践面を強調する。)


7.文殊院

 文殊菩薩を中心に左右に侍者衆が並よ.文殊菩薩といえばこの曼陀羅の中核部である中台入来院の斜右下の蓮弁土にもみたところであるが「三人よれば文殊の知恵」というように文殊は知恵の菩薩である.中台入葉像が経巻をもつのは法身の知恵、すなわち永遠の知恵の本体を象徴するものといえよう。それに村して文殊院像は経巻をもたず、手を横にあげて与願印を示すように、現実の社会に知恵を施し人びとを救う貌象面の文殊で、知恵の実践を志すのが異なる。


8.除蓋障院

 中心の除蓋障菩薩は耳馴れないが、尊名の通りあらゆる障害を除く能力を持つ昔薩である。金剛の武器をふるって煩悩をくだいて仏の大知を示す金剛手院の外側にあり、金剛手院の大知が現実に活動する理性的な領域が除蓋障院といえよう。


9.地蔵院

 中心の地蔵菩薩は、釈尊の没後五六億七千万年後に弥勒仏が出現するまでの乱世の間に、煩悩に苦しむ人びとを救おうと誓いを立てた菩薩で、内側の観音院の大慈悲の徳を迫害や苦しみに堪えて人びとに施す菩薩で、特に地獄や餓鬼に関係が深い。


10.虚空蔵院・11.蘇悉地院

 蘇悉地院はもと虚空蔵の一院であったが、上方の文殊、釈迦院の対応上二院に分かれたのである。主尊の虚空蔵菩薩とは明澄な大空をおのれのうちに蔵するという、煩悩を尽くした空の境地にある菩薩であって、内側の般若菩薩の空の知恵を実際に行ずるところに使命があり、手にもつ宝珠は空のきわまるところ、かえって福徳があたえられるというこの菩薩の本質を示すものといえよう。


12.最外院

 壁陀梓の最外周には、十この方位に配される十二天や、七曜、十二宮、二十八宿などの星宿をはじめインドの神々など二百余尊の多数の尊が、民族神の種族的僻見を超えて仏道に帰依し、仏の真理を護持する姿である。





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